:::

:::

生きるモチベの話

 

さいきん、というか産まれてずっとだけど、とくにさいきん、まじで人生があまりにハードすぎて純粋にお気持ちを表す言葉がしにたいしかなくなってきていて、口を開けるとすぐしにたいとでてきてしまうしにたさなんだけど、ほんとうにしにたいんだけど、でもまあ、痛いの嫌だししなないのはしなないんだけど、でもなんかずっとしにたいのね、

でもなんかさいきんは痛いから以外にもしんじゃいけませんと自分を説得できるようないきなきゃいけない理由?目的?がでてきたのでじぶんを生きさせるのが余裕になった?

なんかね、しにたーいとおもったときに「でもわたしはめぐまれないこどもたちに教育を届けなければいけないからしんじゃだめだ、、、わたしが救わなければ救われない子がきっとどこかにいるので、、、、、」ってスッってしぜんに一番に思うの、やばくない????????、ともだちがいるから、とか、SMAPの再結成を見届けなきゃいけないから、とか、靖子ちゃんのライブ行きたいから、とか、もっと旅行したいからとかじゃないんだよ、わたしの一番の生きなきゃいけない理由、、、、、「こどもに教育を」だよ、やばくない????Saintかな、あたまおかしいな、、、、心配、、、自分が心配だよ、、、、聖人すぎて、、、、、、

しにたいとおもったときに、いまのわたしのもつくるしみと、自分ではどうしようもないたまたまの境遇で人生這い上がれなくて泣いてるこどものくるしみの大きさと比べて、たぶん世界にそんなこどもはあふれるほどいて、そのくるしみをあわせたらたぶん測れないほど大きいから、どっちか救うとしたら後者だな、後者救うにはわたし生きるしかないしな、じゃあ生きるしかないな、しんだら前者は救えるけど後者は救えないからな、それはだめだなだめだ~というかんじ

 

こどもすきなんだねなんだかんだ、といわれたりしたけど、こどもと話したりするのは相変わらず大して好きではない、むしろふつうにきらい、

ふつうにきらいだけど、いちばん弱くて境遇に左右されるしかなくて、でもそんな境遇の波にのっているだけで人生の道はだいたい決められてしまっていて、みたいなのがどうしようもなくひどいとおもうから、ちからになりたいな~とはおもう、こどもは何も悪くないんだからしなないでほしいし人生諦めないでほしい、負けずに生きてくれこどもども

 

このブログ元々旅行記だったんだけどな、、、ぜんぜんちがうものになっているさいきん

 

特にオチはないです、いきろこどもとわたし、という話でした ~完~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴよぴよ



ぱぴーが一か月(と10日くらい)家出をしていた、
帰ってきて初日でいわれたことまとめ

 

・就活の相談とか報告とかが一切なくて憤慨している。22年間育ててやったんだから、そういう節目はちゃんとしろ

 -相談は確かにしていないけど、報告はしました。彼がそのとき酔っていた(というか18時以降だいたい酔っているので顔合わせるとだいたい酔ってる)ので覚えていないだけ。だいたいなんで無職に就職の相談しなきゃいけないんだいみわかんねえわ、だいたい中2みたいなこと言いますけど勝手に産んだのそっちなので育てたことに対して感謝されようとしないでくださーい

 

・僕はもう病気でこの先なんも生きがいもなく寝て起きてご飯食べてしかなく生きていかなきゃいけないしで辛くて、そんなところで唯一の頼り?よりどころ?となるはずの家族なのに、どうにも僕の病気に理解があるように思えない。こんなんじゃ今後一緒に暮らしていけない、と思ってお試しひとり暮らしとして家出をしていた

 -理解ってなんだ、わたしはそもそもあなたから何の病気ですとかちゃんときいたことないぞ、机漁って勝手に診断書みただけだぞ、、、それで理解しろとは、理解乞うなら説明をしようってみつをも言ってた

 -だいたいわたしは心配してるし気遣ってるよ、、、、、、、、、、心配してなかったらいちいちアル中の家出じじいにラインしないわ、、、、なんでそういうことわからないでエンドレス悲劇のじじいやってるんだろうか、冷静に60で家出ってなんなん

 -いきがいくらいは自給自足して頑張ってほしい、こちらに何か求められましてもあなたの60年の積み重ねの結果が今のこれなわけで、こちらにはどうしようもないです

 

・だが、まあできれば一緒に暮らしていきたいとは思っている、だから理解をしろ?気遣いをしろ?

 -はあ、、、、、。

 

・私さんから質問「酒は辞めないのか」ちち「やめない。やめようと思ってこないだ禁酒の病院に一か月入院してみた(この入院は今回の家出とは別)が、酒を辞めても人生がひどくなるだけだった」

 -はあ、、、、。(酒は死んでものまないという決意を新たに)

 

・私さんから提案「そんな生きがいないとかいうなら大学とかいったら?」ちち「うーーん、病気なので。病気の人なんてみんな俺みたいに何もやる気なんか起きないと思うよ」

 -はあ、、、、、。(もうどうしろというんだ)

 

・ちち「まあそういうことでとりあえず4月から住む新居をきめましょう」(もとから4月から引っ越しというのは決まっていた) 私さん「そのことなんですが、私一人暮らししたいです」 ちち「うーーーんそれはどうですかねえ、とりあえず新社会人のうちは実家のほうがいいと思いますよ」 私さん「家賃補助も半額出るし、できるからしたいんですけど」 ちち「家賃補助半額出るんですか??それはいいですねえ~ じゃあつぎ3人で住む家はあなた名義で借りましょう」 私さん「うんち?????????????」

 -なむなむ

 

 

 

なんか裏切られたな~~~~~~~~~~~~~ぴよぴよ!というかんじだったお:)

いろいろうざい怒り卍みたいに書いてるけど、ぜんぜんもうなんかうざい怒り卍は実はなくって、ショックショック!とかなしいかなしい!とこれからどうなるのかな!?となんか一度きりしかない人生なのに「幸せ仲良し家族でそだつ」みたいなやつとか「やっぱりほっとする家族」みたいなやつとか、なに?やり逃しちゃったなあ~みたいな?人生のスタンプラリー埋められなかったなあもう取り返しつかないのに!みたいなおきもちとか、わかる結局私はクズ!とか、でもパパは当然クズ!だし、いやようく考えたら普通にママもクズ!?とか、でも全員すきじゃなくても情はあるから幸せに全員なればいいなとは思うけど、どうやったら幸せになんのかな??幸せになる未来みえなくない??みたいなかんじですとか、なんで私は生まれただけなのにこんな貧乏くじ、、、とか、かといって虐待されてるわけでもないしなんでもないんだから強く生きよ!!とか、そうそう強く生きよ!ちにたいけどちにたいちにたい言ってたってなにもいいこと起きないで自分の気持ち下げてるだけなんだからとにかくなんか頑張って頑張ろ!!!ひとりごとはちにたいじゃなくて、ちにたいけどがんばろう!っていうことにしよ、とか、もうどうしようもないんだからバラバラになっちゃった方がむしろうまくいく気がするんだけど??とか、やっぱりちの~~~~~~アカウントを消して仮想的に自殺する~~~♪のやつやろ~~~とか、はあ結局優しいのでうつ病の勉強しよ、、、、とか優しくしてもでも結局ぜんぜん気づいてくれないんだけどな、とか、ふつうにこれはよくきく家族巻き込まれるやつのあれだなわかりみがふかいまるだね~とか、一人暮らししてわたしを守りたいけど、捨てたせいで家族が壊れてだれかがちんじゃったらすごく嫌だよね、でもこのまま一緒に住み続けて壊れて誰かがちんじゃってもやだよね、すきではないけどふつうにしあわせになってほしいしわたしもなりたいけどわたしはちみをしあわせにはできないし自分の足でちゃんとたってほしいし、せめて自分で自分の人生幸せにする努力はしてほしいよ〜、お酒だってやめろ!!!って言ってるけど完全にやめろという訳じゃなくてまずせめてやめる努力をしろよなんで開き直ってんだよってそこ、その努力のしなさにいらいらしているんだよ~う、それが理解ないってことなんだ!病気だから努力できないのはしょうがないんだ!!!!って話なのかもしれないけどそんなこといわれたらわたし一生理解できないわ、だし、お酒のんでこっちにかけてる迷惑とか考えたことあんのかな、そっちはあんたら一緒に暮らす気ないじゃんって責めるけど、こっちから言ったら私たちに迷惑かけるのにお酒やめないあなたの方がよっぽどわたしたちのこときづかってないよ病気だったら王様なの??とか、そんなこといってたらじぶんもなるんだろうしもっとやさしくしなきゃいけないのかもしれないけど他人だったらそんなん簡単に理解示せるけどむりだよ~~~それこそ家族だもんむりだよ~~~とおもって、いきてるだけでなみだでてきた今日

 

スタンプラリーのがしちゃったきぶんきぶんだけど、結婚して子どもふたりくらいつくって、狭くてもいいからちょこんと子供が友達呼んでもはずかしくないようなマイホームとか買って、みんなでテレビみて笑って、家族旅行して、ニコニコ外食して、結婚記念日祝って、とか、そういうやつしたいな~~~~神格化しすぎだな~~~なかよしかぞく

 

 

 

イライラしてない!!!!!!!!ウザいとも思ってない!!!!!!!!かなしい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!すべてがかなしいです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!もう何が悲しいのかもわからないけどすべてかなしい!!!!!!!です!!!!!!!!!おわり!!!!!!!!!!!!!わたしはわたしのこと自分でしあわせにしつづける!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ハイ今日も幸せだったね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!だったよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

じんせいどうなるんだろ~~~~こわいよお~~~:( ぴよぴよ

 

 

33 交換留学生の就活一例

 

 

 

スケジュール感、参考にはならないとおもう(クズ過ぎて)けど、こんなクズでもどうにかなったんだ!という希望になれればいいなと思って、おいておきます、

 

 

わたしは4年生8月末から5年生5月15日までアメリカに交換留学していたひとです。

 

 

 

ー4年生3月ー

なんか同い年たちの就活説明会が始まったので、とりあえずなんとなく興味のあった旅行業界の説明会とかにプラプラ行ったり、合説ではばひろーーーーーーーい業界の説明をきいたり、した。

でもそんなにガツガツは行ってなかった。なんかどうせ今年就活しないし、どうせ留学行ったら考え方変わりそうだし、スーツ暑いし、とか思ってやる気を失ってしまった。

 

 

ー4年生6月ー

マイナビ国際派就活と東京サマーキャリアフォーラムに行った。どちらも海外大生や交換留学生のための就職イベントで、合説+その場で選考もしてもらえる、というもの。ふーーん、来年はこんなかんじなのね、というイメージを膨らませた。ここでも幅広い業界の話をきいた。つかれた。

 

 

ー4年生8月ー

20卒の夏インターンとかに本当は参加するべきだったんだろうとは思うんですけど、何にもしなかった。同級生と過ごす最後の夏休みだ!!ということのほうが、そんなインターンなんかより、10000000倍大事だったので、ともだちと、少し早い卒業旅行をしたり、お泊り会をしたり、ディズニーに行ったり、した。この夏休みが最高に楽しくって、留学してからも心の支えになるくらい楽しかったので、何にも後悔していない。

遊びまくって全然用意する時間ないくらい連日遊びまくって、それでもなんとかパッキングを終えて、24日?とかそんくらいに渡航

あ、なにもしていなかったけどボスキャリのサイトとかは見始めていたかもしれない。本当にさらっとすこしだけ。

 

 

ー4年8月末ー

渡航!!!!

 

 

 

ー4年生11月ー

ボスキャリに行きました。

 

渡航してからクソ就活に時間をとられるのはまじでまじであほらしいので、渡航前にレジュメは完成させておいたほうがいいですという、先人の反省。みんな言ってるよね、でもみんなやらない、わかる、でもぜったいやったほうがいいから、ね、出国前にレジュメはおわらせてください。

 

わたしはこんな感じのくずなので、事前に書類通過して面接予約入れていたのは1社、事前スカイプ面接なんてもちろんゼロ、というパッパラパー状態で挑みましたが、それでも、ウォークインから3社(1社は希望者全員面接してくれるところ、2社は書類選考通過した)面接をしてもらえました

 

面接した3社も全部1次で落ちたけど、

あんまり志望業界も固まっていなかったので、いろんな企業の話を聞ければいいな+ボスキャリってどんな感じなのかみてみたいという観光気分+あわよくば面接の練習をしたい、みたいな気持ちで行っていた身としては、わりと十分な感じでした

ウォークインでも意外に通るので、面接の練習したいな~くらいのひとはまあそんな気合入れなくてもできると思います、わからないけど

 

ウォークインのレジュメは、CFNのレジュメ(あの長ったらいやつ、わたしはレターサイズ両面2枚、くらいの分量でかきました、)と、日本の大学名が入った履歴書(履歴書といっても、基本情報と学歴のほかに、資格/ガクチカ/自己PRとかも書く欄があるESちっくなやつ)を手書きで書いてそれをコピーしたやつをセットにした3枚つづり(CFN2枚+履歴書1枚)をホチキス止めでだしていました。

でも、みんなほぼCFNのレジュメだけの人が多かったと思う。

わたしはCFNのレジュメは長すぎるから読んでもらえないかな?と思って、要旨の意味も込めて履歴書もつけておいた、

あの場はカオスすぎて正解は特にないと思うのでなんでもいいと思います。

 


わたしは20卒交換留学生という立場で参加したんですが、
18年11月のボスキャリでは19卒の募集が多かった+渡航して日が浅い時期なのに留学関係の質問が多いため交換留学生は不利(正規留学生に比べて)、という2重のどうしようもなさがあった気がする

次年度卒の交換留学生として参加しながら内定を取りに行くのは相当すごい人しかできないんじゃないかなあ、と感じました、まあ取ってる人もいるんでしょうけど、、、

 

服装は、スーツに黒パンプスで行ったけど、就活バックまではアメリカに持っていけなくて、それだけのためであっちでカバン買うのもバカらしかったから普通の白い布キャンバストートみたいなやつで行ったけど、全然浮かなかったしもちろん誰にも何にも言われなかったくらいな雰囲気だから大丈夫です、

髪もわざわざ黒染めしたんだけど、よおく薬局みたら、黒染めスプレーみたいなのアメリカでも普通に売ってたのでそういうの探してすれば十分だと思います

 

 

泊まるところは、エアビでともだちと。お金もなかったし、結構予約したのも遅かった(9月末とかかな?)から、会場からウーバーで10分くらいのところでした。まあ二人だったし、ウーバー使ってもそんなに高くなくって、よかった。

さいしょはひとりで泊まろうかなあ~とかおもってたんだけど、仲のいいお友達と日本語でおしゃべりしながらお泊りできたのがすごくすごくよかった。ボスキャリの情報共有とかストレス発散もそうだけど、留学の悩みとかを共有できたり、(私は日本人がほぼいないところに留学していたこともあって余計に)気心知れた子と日本語で喋ってられた3日間?がすごくすごく幸せでストレス発散になった。

11月ってちょうど留学の疲れが出始めるころだと思うので、日本人の友達と泊まったり、泊まった子以外にも日本人の友達と再会できたり、ご飯を食べたり、できたのは、すごくよかったです、ボスキャリの本来の目的とは違うけど、よかった

 

 

ー4年生12月(冬休み)ー

思い出の地を巡るヨーロッパ一人旅で、いろいろ過去を振り返り、は!!わたしは教育方面の道にいきたいかもしれない!!!と突如きづく、

(本当にこの旅行ってよかった)

 

 

 

ー4年生3月1日ー

説明会情報とか解禁になる日ですよね

2月28日に、あ~就活解禁まであと3日か~ぽわぽわ~とか思いながらTwitterをぼんやり開いたら、就活解禁!!!!のもじがめちゃ踊っていて、ふぇ!?!?!?タイムリープ!?!?!?とびっくりした、

ら、①2月は28日でおわり ②時差があるから、アメリカでは28日だけど日本ではもう3月1日!! 

という基礎ふたつをすっかり忘れていたことに気づいて、あ~~~そうかあ~~とおもった、きづいたときには就活解禁していた

そのくらい就活意識虚無だった

 

 

ふつうにあちらの生活を楽しみたかったし楽しかったので、あまり危機感も感じなかったし、感じたところでどうしろとという感じだったので何もしなかった、無

 

 

 

ー4年生3月15日あたり(春休み)ー

冬休みに感じた教育熱をきっかけに、TESOL(英語教授法)の国際学会にこそこそ参加

すごくたのしかった、けど、漠然と、教師はなにかちがう、とおもった

 

 

 

ー4年生3月後半~帰国(5年生5月)までー

その後いろいろ内省をくりかえし、教育格差に興味があるな!となって、
これをなくすには何の業界?Edtech(教育工学)だあ~~~~
となった、

 

ただここで、教育IT系の企業をなかなか見つけられず(実際数は多くないとおもう、特に新卒募集してる会社)、じゃあとりあえずIT系にエンジニアとして就職して、キャリアつんでから転職するかあ~~~、とひより、そういう方針にした

(ここのひよりが長引いた元凶、、、)

 

自己分析以上のことをする時間はあいかわらずそんなにとれなかった(し、とりたくなかった)ので、とりあえずオファーボックスに登録してES項目埋めながら自己分析をすすめたり、オファーの来る具合をみながら書き方研究したり、だけしかしなかった

 

 

 

ー帰国(5年生5月)後~5年生7月ー

帰国して半年くらいは逆カルチャーショックと時差ぼけでほとんど動けず、帰国後3日目くらいから就活エージェントの面談とか説明会とか入れてたけど、結局2週間後くらいまではとことん行けずじまいにおわった

 

とりあえず、ぜんぜんわかんないからオファーボックスでもらったところ行って雰囲気とか掴もう~!と思って、帰国前適当に説明会予約しておいたのでそういうのに徐々にぼちぼちいきはじめる

 

帰国後2週間でやっと初めて説明会に参加した御社(オファーボックス経由で帰国前から説明会予約を入れていた)、すととんとすすみ、帰国3週間半くらいで内定をすととんともらった

ほ~~なんだこんなかんじでもらえちゃうんだ~とおもった

 

この時点では、ITに就職して教育ITに転職、と考えていたので、まあこれでもいいのかなあ、とおもった、でもなんかなあ~とも思っていたのでなんとなくまたITで継続、そもそも行きたくて受けたわけではなく、練習のつもりだったし

(この時点で、自分がどうしても妥協できないところを妥協したことに気づいていなかったのが長引いた敗因だなあ~と未来の私)

 

教育系(塾とか)も何個か行ったけど、やっぱり、TESOLのときに感じたみたいに、わたしは直接生徒と関わるやつがやりたいんではないな、と思い、撤退、やっぱりITにしぼる

 

ぽつぽつITを受け続ける、1次はほぼ100%通ったけど、どこも別にぴんとこなかったので、だいたいを1次通過の時点で辞退、

 

そんなこんなしているうちに、留学生就活のメインイベント、ディスコ東京サマーとマイナビ国際派就活が2週連続で襲い掛かってきた

どっちも特に行きたい企業はなかったけど、まあチャンスだろうし楽しそうだし失うものもないので行った、やっぱり留学生に特化してるだけあって、ふつうに就活していたらなかなか出会うのは難しそうな、留学生が興味持ちそうな企業がたくさんいて面白かった、特にディスコの方

たくさん話はききに行ったけど、特に興味のある企業はなく、

でもなんか受けよと思ってマイナビは3社くらい(ぜんぶ事前予約なしウォークイン、1次通過したけどそのあとは後日、その日内定は私受けた中ではなかった)、ディスコでは2社(ぜんぶ事前予約なしでウォークイン、1社その日内定、1社1次通過であと後日)受けた

 

ボスキャリよりは全然スローだけど、それでもふつうのプロセスよりはよっぽど早いし、かなりたくさん面接を受けられるのでいい練習になる、交換留学生は面接の場数の面で他の人に後れを取ることになると思うので、これらフォーラムは挽回の超チャンス、

絶対行ったほうがいい

 

その後、どちらかのフォーラム(御社にばれるとこわいのでぼかす)で1次通過して、別日程でその後の選考を何回かやって、内定

 

前にもらっていた企業よりは教育に関われそうだったことともう就活に疲れ果てていたこと、二つが重なってまあいいのかなあ、となり就活を終える

 

 

 

ー5年生8月ー

なんか就職先うーーーんとおもいながらとりあえずいいや!とおもって、就活放置

 

てかまずエンジニアできんのかな?と確かめたくなり、プログラミングスクールに10万課金して1か月やる

いやわたしやりたいことこれじゃないわ、となる(おそい)

 

ゆっくり1か月かけてふりかえり、わたしがやりたいのは教育だ、ITはあくまで手段で、メイン軸は教育、そこブラしちゃだめだ、となる

 

ゆっくりさがしたら、
教育IT系の企業の新卒採用、すくないけどないことはない!いくつかまだある!と発見

 

 

この3点に気づき、素直に自分のやりたいことできる会社受けよう、と決意

 

 

 

ー5年生9月ー

 

受ける

 

 

 

ー5年生10月ー

 

受かる、本当に納得でおわり

 

 

 

 

 

こんなに長引いたけど、留学したおかげで将来やりたいことというか人生でやっていきたいこと?がみつかったので、留学にはミリの後悔もないです、、、(あっちで就活何もしなかったことも含めて)

 

 

なにがいいたいわけでもないんですけど、ただただ一例として参考にしてねという記事でした、特にボスキャリのこととかでご質問あればコメントとかしてもらえればこたえます、、!

 

 

 

 

 

 

 

1 大学院にいくんじゃ

 

交換留学を経て、 

海外で学位をとってみた~~~~~い

となりました

 

 

どんな境遇にいるひとも学びを通じて自己実現を目指せる世界になってほしいなというお考えがあって、イーラーニング業界に就職することにしました、ので、
3年くらい働いたら、Instructional design (教育設計), Educational Technology (教育工学)あたりの専攻で、どこか海外の院にいきたいなあと思っています

 

海外のどこですか、はまだ考え中なんですけど、

教育の国!かつ大学授業料が安いオランダ・ノルウェー、EdTechの先進国アメリカ(学費が高すぎるので奨学金もらえないと無理)、タダだしドイツ?、とか、、、、、、?

 

アメリカが好きなのでアメリカに行きたいんですけど、奨学金の厚き壁と、北米英語しか聞き取れないふがいなさを感じるので他の国に行ってみたいとか、そもそもアメリカは一回長期滞在したのでどうせならほかのところに行きたいでもアメリカ好きとか、いろいろもぞもぞ考えています、、、、、、

 

IELTSは2年間しか有効じゃないので社会人になって1年後以降くらいからまた受けないとなあという感じなんですが、学生のうちにできる準備はいろいろ今のうちから始めたいなあとおもっています、主にGREの受験と学校調べ、費用計算、
あとはノルウェーとオランダに1回行ってみてもいいなとか、そんなところです

 

 

ストレート入学の勇気はなくて諦めちゃったけど、ぜったいにぜったいに超行きたいので、超行きたいです、

 

準備の過程とかをぽろぽろ残しておきたいなあ~とおもっています、とりあえず一回GREの模試をうけてみようね

 

 

32 メンブレちゃん

 

 

別にメンブレしてないけどちゃん

 

律詩をかいたつもりがゲリラ散文になってしまっている、自分でも何を言っているかはわかりません、まあ読め、読んでなんか言ってください、読み手に対する思いやりはない文章です、、、ゲリラ散文だから、、、何言ってるかわからないけど、、、、

 

でもとかだからとか接続詞いれて、なんかつながってそうな文にしてるけど実際全然つながってない(ゲリラ散文だから、、、ってもう言いたいだけ)からまあ各段落1ツイートみたいな気分で読んで、言い訳が長いね

 

 

 

 

 

留学に行って、移民の人の勉強とかしたり、留学先でボッチすぎてユーチューブに引きこもってたおかげで、医療ケアが必要とかの理由でなかなか外に出れない人とかの暮らしをのぞいたり、して、なんか出自によっていろいろ人生の選択肢が狭まってしまう、とか、やりたいことができない、のが悔しい(だってそれはその人の問題ではなくたまたま社会構造がそうなっているせいだから)なと思って、じゃあそれを解決したいな~、みんながみんなできるだけ自分が選びたい選択肢を当たり前のようにスルっと選べるような社会をつくれたらいいな~、と思って、

 

じゃあそれを仕事で解決するにはどんな職種?職業がいいんだろうなあ~と思って、考えて、

 

なんかわたしは塾に行ってたりはしなかったけど勉強がちゃんとできて志望校に合格できたのはまじでまじで受験サプリ(と進研ゼミ)のおかげだな、と思ってめちゃくちゃに感謝してて、(私が高3になったとき、まだ2年目とかのサービスだったけど、月980円で予備校クオリティの授業は本当に感謝感謝だった、、、、、)

そんなところから、なんとなくITサービスは、そういう地理的な壁も経済的な壁も超えてたくさんの人に上質なサービスを届けられるのでいいな、と思って、

 

で、働き方も、手に職つければ、海外でも働いてみたくなったら働けるし、沖縄の離島とかに住んでみたくなっても住めるし、子ども出来ても働けるし、勉強好きだし、なんかいいなと思って、

 

よしじゃあエンジニアだな!!!!!!!!!!!!!!はい!!!!はすぐ決まった、営業とか目に見えにくいスキルを育むのは私は向いていなさそう、、、、と思っていたしまあちょうどいい、はい

 

 

 

 

で、就活をしている?ます、いま、

 

だからまあやりたいことを簡単にまとめると「機会格差の解消」みたいなふうになるんですけど、でもやっぱりいろんな格差の中でも特に、教育格差に興味があって、出自で未来が摘まれてしまうのが悲しいなと思って、教育×ITのところで働ければいいなと思ってるんですけど、私がどうしてもへなへなになってしまう芝生が生えていそうな企業(=ベンチャー)(テンションが合わない)ばっかり、だし、そもそも中途募集が超に多い、それかもう募集終わってる

 

 

 

 

でもそういう教育サービスとかを届けたい対象がもし途上国のひとびととかかもしれない(まだ私の情熱がそこに向くかはわからないけど、向きそうな気もするし向かなそうな気もする、国内の「恵まれない子どもたち」の力になりたい気持ちもある、日本をどうにかするのは日本人しかいなそうだから)から、じぶんがどこにパッションを感じられるのか確かめたくって、まあ進路が決まったら何か月か海外ボランティアかなにかで教育現場をみにいってみたい、

で、もしそういう海外に想いが向いたなら、そのうち協力隊もいいな、と思う、

 

 

でも、もう一回海外でお勉強がしたい!!!!のはあって、だからいつか近くか遠い将来、教育工学(EdTechといったほうがききおぼえがありそう)の勉強?というか研究?で行きたい、海外というかアメリカ、

 

やっぱり、交換留学の1ねんはいきているだけで勉強になった1年だったし、ってことはまだ生きているだけで勉強できるなにかがあそこにはあるんだと思う、知らなかった人生とか、知らなかった自分とか、、いっぱい知れて楽しかったからまた行きたい、しりつくしてしにたいな

 

せっかく地球に生まれたので、いろんなところに住んで、いろんな価値観を知ってみたいな、と思う、なんかわたしはべつに某たびっぽみたいな(もろいってる)ところにいる「俺旅人」みたいなテンションは超苦手なのでそう思われたくないんですけど、でもなんかいろんなところに住んでみたいし、しぬまえにいろいろみておきたいなと思う、

 

さっきからひとをディスりすぎている、、これだから友達が少ない、、、、ディスってるわけじゃないです、私のテンションが勝手に合わないだけです、、、

 

 

 

 

 

だから、自分の興味と違う事業内容のところにエンジニアとして入って、エンジニアとしての力をつけてから、教育とかそういう機会格差みたいな関心分野にアプローチできるようにゆくゆくなればいいのかな、って最初は思って、そういう感じ、つまり転職前提で、とりあえずスキルつけれればいいかなみたいなかんじで就活をしていて、

 

でも私は所詮プーさん(所詮プーさんなんて言い方はプー大先生様に失礼、プー様は偉大、詫びなさい、ごめんなさい)なので、その日その日、今やっていることが一番だって感じで行きたいのね、なんか未来の目標のために、今は我慢!みたいなことはしたくないの、だって、将来やりたいこと、なんてころころ変わると思うし、いや絶対変わるし、わたしは5年後も機会格差の解消を!!なんて言ってるか?と言われたら、自信はない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!変わっていても全然おかしくないし、変わることが悪だとも思わないしそれはしょうがない普通だ、だから、いま「将来のために」我慢したって、それが本当に将来のためになるかはわかんないじゃん、それならわたしは「いま楽しい」をずっと薄く続けてった方が、というかそれが幸せじゃん、っておもうのね、

 

だから将来のために我慢するなんてのはちがうな、、、と思う、いまやりたいことをいまやらなきゃたのしくないし、そのなかで、今一番やりたいことをやっている中でまた次の道が開けてくるものだと思うんですよ、ね、

 

 

これがなんでプー様なんだ、、、?っていまだにプー様を引きずって私の熱い話を聞いていなかった人はいますか? そうですか、あなたですか、やさしいので説明しますけど、プー様の全米が泣いた超最高激アツ映画「プーと大人になった僕」で、「今がんばったら、今週の週末のピクニックを返上して働いたら、将来幸せになれるんだ!!!!!!!幸せになるためなんだ!!」みたいなことを言ったクリストファーに、クリストファーの妻が「ハア?Our life will be what? Will be better? Worse? We don't care. This is life. This weekend is your life. Your life is happening now. Right in front of you. 」(好きすぎて突然真面目に引用しはじめる)というんですよ、この考え方がすごくすきなんですよ、ライフはハプニングナウ!ここで!なんですよ、ちなみに私の好きな5歳児くさなぎつよしも「夢より今日」という名言をのこしてらっしゃって、これは私の座右の銘です、きいてないってか、すみません、

 

とにかくわしは今やりたいことだけやってたいんじゃ、将来を見通してどうのっていうのは、なんか、ちがうとおもうんだ、、、、

だからちゃんと今はいる企業も、転職前提で妥協、とかじゃなくて、ちゃんと今やりたいことを今できるところに入ったほうがいいと思うんだ、、、、、なんかすごく当たり前のことを言っていてダサい、、、、ごめん、、、、、 

 

ということで、

教育×ITに関心がある

→が、就職口がすくない(し、入りたいとおもうところも正直まだみつかっていない)

→別にこれにかかわることをする方法は就職一つではない、、、就職しないで院留学しながらインターンとかしつつでもいいのでは、、、?

 

みたいになるんだが、でも結局、5年後には興味が変わっていてもおかしくないのに、大学院という選択はある程度自分の専門性をバチっときめてしまう選択でもあるなあ、とおもって、そこに対する怖さもあったりする正直、、、、、、、でもこの業界でアメリカで勉強とか研究した人はまだ日本ではすくなそうだから、まあ5年後(というかまあ卒業する2年後)まだ関心がぶれてなければ悪い選択肢ではなさそう、、、、、、、とかで堂々巡りうんちっちになっている、こういうタイミングでうんちっちとか言っちゃうからダメ、

 

 

 

どうしたらいいんだろう、ぜんぜんわからない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

正解なんて別にないんだと思うし、逆に言えばどれも正解だし、でも人生は短いと気づいて焦りも出てきた、やりたいことを詰め込むにはゆっくり変な回り道などしていられない!みたいな焦り、まあ回り道も全部無駄ではないことはわかっているんだけど、まあ近道したくなっちゃう年の頃ですね、22歳

 

 

結局うだうだいろいろ言っているけど、ワクワクで選びたいだけなんだ、ワクワクがあれば理屈上不安だなとかリスキーだなとか思っても、飛び込んでいけるし、ワクワクをパワーにぜったい「成功」させる自信はあるんだけど、どの選択肢にもいまは正直ワクワクしないから、よくわからない、こんなのはじめて

 

逃げてる~~~~といわれるとおもうけど(だれに?だれかに)ちょっととにかく休憩がしたい、いまは、人生の休憩がほしい、なんちゃって、大学5年生が黙りやがれ!!!!!!!ごめんなさい、でもほんとう、休学してもうすこし考えたい、うそです、

 

 

 

あとなんか、そのやりたいこと、実現したい社会について語ると、意識高そうにきこえてしまうみたいで、なんかがつがつ働きたそうな感じ?にきこえてしまうと思うんだけど、なんかべつにそうでもない、みたいなところもあって、それもあってなんかがつがつしている会社はあわないな、と思うし、社会をかえたい、と、じぶんはまあそこそこのほほんと暮らしたい、みたいな欲望はなんか交わらないものなのかな?とか、なんかべつにわたしはこんなサービスをつくりたい!!!!ボンボンボン!はい勉強会に土日も行って、アンテナ高くて成長意欲!!!!!!!!!PDCAサイクル!!!!!!!!!!!みたいなかんじではないけど、それでも困っている人の役には立ちたいし、なんというか、意識高くなきゃ理想の社会をつくる役には立てないのかなあ、わたしは家でぐーたらユーチューブ見てすまっぷみて靖子ちゃんのライブに行って、寝て食べて食べて寝て寝て寝て、生きて、そのうえで人の役にも立ちたいけど、じぶんをちゃんと守るのもすごく大変だし、すぐめんぶれちゃんになるし、だから、きみたちみたいにはなれないけど、できる範囲で私も役に立ちたいんだけどな、、だめ、、?やっぱり努力できない人間はだめかあ、そうだよね、、、、、、、ごめん、、、みたいなきもちになる、わかる、なにいってるかわからない、ところでここまでよんだあなたはえらいね、

 

 

 

まあそんな感じの人生です、わたしはどんな進路をえらぶんだろう、、、、、、なにかアドバイスあったらください、

アドバイス、ご提案、誉め言葉はいいけど、おまえは考えが甘い!!!!!!!!!!!!!!!!!(むんくのさけびのかおで)とかいわれると、沖縄行き飛行機のチケットをとってしまいそうなテンションなのでやめてください、自分を否定するのは自分一人で足りています、あーーーあ沖縄じゃなくて宮古島もいいなあ~~~

 

 

 

ちょっとすっきりしたけどなにも前に進んではいません、ちゃんちゃん、


まあどうにかなりますでしょう

 

 

 

 

 

 

 

31 交換留学で英語力は伸びましたか

 

けっこう前(帰ってきてすぐくらい)に書いたものを放流します

 

ーーーーーー 

なんかFBでこのブログをノリで公表してしまったことをいまさら後悔しています

まあいいや

 

 

 

今日さっき帰国1週間前に受けたIELTSの結果が届いた!!!!

のでこの話をします。

 

交換留学にアプライするために2017年の8月にとったスコアが

L 5.5, R 7.5, W 5.5, S 6.5       Overall 6.5

 

帰国直前の2019年5月にとったスコアが

L 8.0,  R 7.5, W 7.0, S 6.0      Overall 7.0

 

苦手だったリスニングとライティングがとっても伸びた!!!!!!!!!!!!!

 

 

うれしい、うれしいんだけどそれよりスピーキングの6.0が不満すぎる、、、かなしい

絶対に6.5以上な感じには喋れていた自信があるので再採点お願いしようかなあ、と迷い中です、1万円もかかるんですけど

でもスピーキング6.5になったらOverallも7.5になるし、お願いしたいなあ

 (6/26追記 結局締め切り忘れててお願いしませんでした)

 

リスニングは本当に伸びたなあという実感があるので数字に出て良かったです

伸びたなあという実感は生活してて感じていたわけではなかったんだけど、IELTSを帰国前に受けよう!と思い立って、前回受験以来に音源を聞いたら、なんだこれは!?!?!え!?スローモーション!?機械が壊れてるのかなあ???と真面目に思うレベルにとてつもなくゆっくりクリアにきこえて衝撃だった

出願前にIELTSをうけていたときは何も聞き取れなくて雰囲気で書いていたひとが、もう普通に余裕に聞き取れた、すごい、8だけど

sとか忘れちゃったり、つづりミスしちゃったり、してそうなのがもったいないな、それも実力なのでしょうがないです、がんばってください

やっぱり授業とかで毎日東海岸の早口にんげん達に晒されていたら伸びるんだなあとおもった、

 

 

 

リーディングは8とれても良かったなと思うんですけど、敗因は前日よく眠れなかったことと、その結果朝寝坊して朝ごはんを一切食べられなかったこと、その結果眠いし元気が出ない、ジャムおじさーーーーーーーーーん!!!!!!って感じだったことですね、ちゃんと寝ましょう

 

 

 

ライティングはビックラポン!!!!

出願前のIELTSでは、めちゃくちゃ毎日エッセイを書きまくって頑張って、でも永遠に5.5しかでなかったのに、今回は全く練習0で行ったのに7だ!!!!!

秋学期にエッセイ8個書かされる授業を2個も取っていた=4ヶ月で16編エッセイをかいていた、ので、そういうおかげかなと思った、あとは授業中に感想紙に書いて提出して〜とかいうことも結構多くて、短い時間で文章を書く練習はそういうところでできていたのかな、と思います

まえにどこかで、テンプレで書くと絶対に6は超えない、みたいのを読んだことがあって、それはたしかにそうなのかも、と思った

前はテンプレを用意してってそれに当てはめて書いていたけどやっぱりバレるよねきっと

 

 

 

スピーキング、再採点依頼しようか迷うなあ、6.5は固い、ワンチャン7、とかおもってたのに蓋開けたら6でした、ふえん、オーバーオール7.5になりたいよおーーーーーん、

でもぜったい、行く前と比べたらスピーキングスキルはとても伸びています、説得力ないけど、まじで、伸びた、たのしくしゃべれるし長く喋ってても全然苦にならない、

 

 

 

 

そんなかんじです

わたしはあちらに行ってからは「英語の勉強」は一切してないし、「IELTSの勉強」もしてないけど、スコアとしてもちゃんとみえるくらいに英語力はのびたみたいでよかったです

留学に行ったってただ生活しているだけじゃ英語は伸びない!!!!!!!とかいろんなひとが言うけど、べつにただ生きてったってそれなりに伸びるのでは、とおもいます、特に苦手なのがリスニングとかの人は

日本にいても英語は勉強できる!!!!!!!!!!とかいうひともいるけど、いやそうなんだけど、じゃあ何のために英語勉強するんだろう、、、?別に英語身に着けることがゴールで英語の勉強してるんじゃなくて、誰かと話したかったり、異文化を知りたかったり、そんな目標があって英語の勉強をしている人がほとんどだと思うので、なんというか、ノー海外経験でTOEIC990点!とかのひとは、まあそれはそれでもちろんいいんだけど、海外に行きたくて、行ける環境にある人を無理してとめんでもいいやんけ、とおもいますよね、

 

 

 

 

 

私個人としては、「英語しゃべれるきけるかけるよめる」という意識になって帰ってくることができたので良かったです、べつに全然すんごくしゃべれるわけじゃないし(スピーキング6だしな!)(ひきずる)、すんごくかんぺきにきけたり、かけたり、読めたりするわけじゃないけど、でも、なんか、もうどこに行くにもビビらないというか、ある程度、じぶんが英語を使ってまああのくらいの程度までは理解して発信できるだろうみたいなイメージが簡単にわくようになった、英語を使うということに対してハードルをそんなに感じなくなったのがすごくよかったです、英語がなにかスクリプトとして自分の外部にあるもの、というよりは、ちゃんと内部にある感じ?自分と英語が一体化した感じ?がします、うまくいえないけど、

とりあえず、自分にも他人にも「えいごわかります」といえるようになった気がするのでよかった、

 

 

 

 

なにがいいたいんだというかんじですが特に主張はないです、

 

はっはーこんだけしかこいつ伸びてないんか!とか思って優越感に浸っていただいてもいいですし、こんなに伸びるなら行ってみよう!と思っていただいてもいいです、、、いいようにつかってください、、、ご参考にどうぞ、、、さようなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30 まとめみたいなやつだ

 
fbに投稿しようと思って書き始めたけど、fbっぽいテンションじゃなくなっちゃったし、なにより長すぎて受け付けていただけなかったので、とりあえずここに
 
もうちょっと整理してまたこんどかくかもしれませんが、まあこれはこれで
 
ーーーー
 
【交換留学が終わりそうだ】
 
こんにちは。あと1週間くらいで日本に帰ります。
 
ふわふわです。体と脳が3mm浮いています。
なにもわかりません。どうなるんでしょう、じんせい。
 
わからないので、日記を書きます。読もう。
読んで、いいねっておもったらいいねして、いいねっておもわなかったらいいねして。
 
 
わからないので、この1年(ゆうて半年くらい)で変わったなあと思うことをつらつら書きます。インポータント順ではないです。順不同です。
 
 
・自分の名前が好きになった。
驚き桃の木超どうでもいいことからいくスタイル。
 
私の名前ははるかといいます。
もうなんかありふれた名前すぎるし、なんたって、春に生まれたからはるかなんていう超シンプル命名(そのくせ、漢字まで春だとシンプルすぎるかなと思ったので晴にしておいたという謎の中途半端さ)も嫌で、嫌いだった。
 
でも、この一年で大好きになったよ。フィラデルフィアの冬、とてもとてもさむくて長くて、「お〜季節大事!」と心の奥底から感じて、春がきたときに「春だあーー!これが春!春だあ!」と思った。春超すばらしい。花きれい!とか心の底から思っちゃったよね、女子かよ。
だから春生まれだからはるかなんて最高じゃんとおもった。どうでもいいとかいったけど、本当は全然どうでもよくない、結構大きい。おわり。つぎ。
 
 
 
・にんげんに支えられていることにやっと気づいた。周りのにんげんは超大切。22才です。
22才にして、気づいたのは本当に遅いんですけど、やたら人の優しさに触れまくりまくった数ヶ月でした。
 
やさしいひとばかりでびっくりした。ここで出会ったひとも、日本の友達も、すごい。私は本当に幸せだ、ラッキーハッピー。
 
こんなやつ、いちいち返信が遅い/テンションの上下がすごい/歌ってしまう/寝てしまう/朝は機嫌が悪い/遅刻グセが治らない/なにもない、ようなやつ、と遊んでくれたり、をしつこく誘ってくれたり、の話を辛抱強くきいてくれたり、に「困ったらいつでもいってね」と言ってくれたり、した、ここで出会った沢山の人とか。(文章の作り方下手だったすみません)
今ドヨーンなので電話をください!!!とツイートしたら本当に電話をくれたり、困っている話をしたら、「頑張って〜」とか「超わかる〜」とかいってくれたりしたり、留学している同士でぺちゃくちゃしたり、した、たくさんの日本のともだちとか。
 
なんなんだこの人達は!?!?!?!?!!?と思った。
 
わたしの周りにはこんなにこんなに暖かい人がたくさんいたのか、、、、と思って本当に無限びっくらポンだった。し、
わたしはこんなにひとに優しくできているだろうか、、、、、、、、とおもって無限に反省した。優しくない。
 
 
なんか優しさの正体がわからなすぎて、こわいと思ったりもしたんですけど、でもわたしも人を幸せにできるようなにんげんになろうと思ったし、周りのひとをもっと大切にしようと思った。意外と世界清らか。つぎ。
 
 
 
 
・ひとを信じられる人は優しい人だなあ。
うえにかいたことと少し関連しているんですけど、
 
 
あーなんかつかれた、とつぜん、いま急に疲れた
 
うーーーー疲れた
 
 
生き返った。
 
さっき夕飯、一昨日買ったファストフード温めて食べたら、お腹壊したんだよ、おもしろくない?
 
やりなおしね。
 
こんにちは。
 
なんだっけ。そうだ、そうです。
 
ぽぽぽぽぽぽぽ。わすれちゃった。あああああ、そうです。
 
そう!
 
すごく尊敬できるひとに出会いました。よかったね。よかったよかった。
 
ボランティアをやっていたんですけど、NPOみたいなやつのSNSの広報。
 
こっちに来て、バイトもないし、なんか人の役に立っていない(別に元から立っていないけど)気がすごいえぐいして、ダメだ虚無になってしまう、にんげんの役に立たなくちゃ!!とおもったり、ふつうに大学生以外と知り合いたいなとか、あとは移民とか英語教育とかについて興味があるなとか思って(突然とっぴなテーマですか、あとで書くので待ってください、あせらないでね)、10月くらいにメールした。
 
「ボランティア」っていう響きで、なんか雑用?みたいなものをオファーされるつもりだったんだけど、経験とかインタレストとか送ってくれ〜って言われて、送ったら、SNSで広報やって〜!投稿して〜!いえーい!っていわれた(別にこんなテンションではなかった)
 
なんで?どうして?わしのメールとか読んだじゃん?英語書けないのわかるじゃん?わたしにはそれは無理だと思うんですけど、この人達大丈夫かな?疲れてるのかな?肩もみましょうか?あれそういえば英語圏のひとって肩こりしないって本当なのかな?そんなことはどうでもいいんだった、で、これはお情け?なんだ?なんなんだ?とおもった。
 
そっから今日まで、7ヶ月位、毎週月曜に通って、投稿かいたり、した。ひとりのスタッフのひとのもとでずっとやってたんだけど、そのひとに出会えてよかったっていうはなしです、これは。
 
さいしょは、やっぱりこんなんできるわけないじゃーーーン、と思って、ひねくれ者なのではんぶん逆ギレしてたり(はしてないけど、してた)したけど、
毎週毎週行ってるうちに、別にこの人はお情けとかじゃなく、疲れてて間違えてオファーしちゃったわけでもなく、ふつうにふつうに、わたしを信じて任せてくれたのでは??神なのか??ブッタかなあ??すごい!!!!!!!とおもった。
 
ありがたいすぎてやば、と思った(感想が軽い)
こんな突然現れたどこの骨かもわからんやつを信頼してくれて、だってSNS投稿なんて、外に出るものじゃないですか、そんなものを任せてくれるなんて、私にはその勇気絶対にない、ない、、、、、と思った。すごい。ひとを信じることができるひとは超勇敢で最高に優しいひとだ。
 
そんなことに気づいてからは、もう拗ねることもなく、スクスクと育った。信じてくれたので、私も信じ返してみよう〜!、超お世話になってるので役に立ちてえ〜!とか純粋なにんげんみたいなことを思ったりもしてしまって、「こんな感じの投稿したらいいと思うんですけどどうかなあ?」とか言ってみたりもできたthanks to her、超イイじゃ~~ん!って言ってくれて、また任せてくれた、聖人なのかなあ?
 
彼女は、私の一番苦手な、他人を信頼する、を超ナチュラルに心の底からしているひとだった。暖かだなあ。
 
 
わたしは、じんせいのなかでわりと「リーダー」みたいなところにいることが多かった。班長とか、実行委員長とか、部長とか、パートリーダーとか、とか。
(嘘をつくな!!!!!!!!!嘘つきは泥棒の始まり!!!ケードロしよう!っていわれちゃいそうだけど、大学生になって心の隅々からの怠け者(なにそれ)になったけどそれまでは生気があるにんげんだったんだよ、べつに「リーダー」だけが価値あるわけはないですけどもちろん、「」だからね、みんながリーダーだよ(?))
 
それは別にわたしはひとを引っ張る力とかリーダーシップがあるからとかではない、むしろない、まったくない、もう知っているので迷惑をかけてきた皆様に謝りたい、鯛飯、無だ、虚無。
 
わたしがなんか高校生くらいまで、ちゃんとひとを引っ張れそうなにんげんみたいに見られていたのは、なぜかというと、それが、これだ、他人を信じたり、任せたりすることができない、できなくて、全部自分でやっちゃっていたからだ、と思う。だからぱっとみは、すごい真面目でやる気がある素晴らしいやつに見えるんだけど、そうじゃないんです〜ビェ〜ざんねんでした〜。
 
こないだ旅行かなんかをともだちとしていて(カレーを作っていたときだったかもしれない?)、だれかが「せんざきといると思考停止しちゃうわ〜」みたいなことを言っていて、あ、気をつけていたのにまたやってしまった!ごめん!とおもった、ぜんぶじぶんひとりで、それっぽく、すすめてしまう。
 
 
 
ひとを信じられる強い人になりたいと思います。
 
 
 
 
 
 
・ふとった
アメリカ、ごはんうめえ。
 
 
 
 
 
 
・生きたくて堪らなくなった。頼むから誰も私を刺すな。病魔は家に帰れ、近寄るな。
別に堪らなく死にたかったわけではないけど、堪らなく生きたかったわけでもなかった。
べつに産まれたい!!と思った記憶もないのでそのくらいに消極的なくらいは許されます、決定、わしがいまきめました
 
べつに、刺されにいきはしないけど、たまたま刺されちゃったりして悲劇のヒロインになってみるのも、それはそれですごく良さそうじゃんみたいなかんじ
 
でも最近超生きたくなった、すごい、別に辛いことが消えたわけではないけど、めちゃくちゃ生きたい、いっぱい生きたい、やりたいこととやらなくちゃいけないことがあれもこれもある、だからすごい
 
こんなふうにおもって人生を生きている人がいるなんて思ってもみなかったから、びっくりした。
こんなふうに思って生きている人と、あんなふうに思って生きている人、他のふうに思って生きている人が、世界には同居しているのか、、、とおもってびっくりした。そりゃあわかり合うのは大変だなあ。
 
メンヘラか?とかいっちゃってわかったよっぽくされそうで気持ち悪いけど言わずにはいられなかったのでいいました、まあいいや、ヌルヌルする、ヌルヌルヌルヌル
 
 
 
 
 
・こんにちは
こんにちは
 
 
 
 
・じぶんは恵まれている、という話と、だからどうするんですか、という話
私はすごく恵まれています、ということに心から気づきました。
 
東大の祝辞じゃないけど、(ゆうてちゃんと読んでないすみません、謝るくせにまだ読まなくてすみません)恵まれているんだあ。
 
大学に行けたり、留学に来れたり、っていうのが恵まれているなあ、というのはまあなんとなくずっと感じていたけど、わたしの恵まれはそんなどころの騒ぎではない。
 
高校に行くのを諦めなきゃいけない人とか、良い教育を受けるために国境を超えなきゃいけない人とか、ただそこで生きてることが違法な人とか、4年制大学も成績優秀で出たのに不法滞在だからってだけで仕事ができないとか、来るしかなかったから来てみたけど言葉わかんないしどうしようもないとか、なんか知らんけど産まれてみたらマイノリティだったとか、そんな、そんな、か。
 
授業でみたドキュメンタリーのなかにでていた14歳位の男の子。
先にアメリカにいたお母さんを追って、教育を受けるためにも、国境を超えてきたら、国境を超える途中で一緒にきていたお父さんが銃で打たれて死んでしまって、でも僕は逃げて、お母さんのもとにやっと来たら、お母さんにはもう新しい家族がいて、うまく馴染めないし、不法移民だから将来のロールモデルもない、奨学金も受けられない、言葉もわからないから勉強もわかんない、成績は取れなくて高校ドロップアウト、皿洗いで働く、「結局僕も他の不法移民と同じになった」。そんな、か。
 
そんな人生がこの世にはあるのか、とおもった。しかも、遠い貧困に苦しむ小さな国のはなしではなくて、超大国アメリカで、こんな富が有り余っていそうなこの国で、そうやって生きている人がいるのか、それでいいはずがないじゃんけ〜、とおもった。すごくびっくりびっくりしたけど、ショックだったけど、信じられない〜!とはおもわなかった。日本でそのドキュメンタリーをみても全然リアルに感じなかったと思うけど、ここでみたらなんか納得感があった。ボランティア先は、移民の方々に英語を教える団体だったんですけど、生徒プロフィールの職業欄は、工事現場作業員と清掃員ばっかりだった。
 
 
たまたま産み落とされた、地理的・社会的な位置で、人生の選択肢が狭まってしまう世界に生きるのは嫌だなとおもう。別になににも上も下もないので、やりたいことがやれればいいんですけど、やりたいことができない、頑張ったってどうしたってできない、そんなのひどいじゃん。
 
 
塾講師を4年間やっていて、右には小学校から某都内有名私立大学付属に通っている中学生、左にはシングルマザーだった母親が亡くなって祖母と2人で住んでいてバイトをしながら通信制高校に通っている高校生、とかそんな授業をする日もあった。世界は広い。
 
でも別に、どっちの子が悪いわけじゃないんだ。勉強全然しないくせに小学校から私立の子が沢山いて、はーーーーーー悔しいなんなんだこいつらは!と思ったりもしたけど、彼女たちだって別に何も悪くない。ただ産まれて生きてるだけだ。
 
 
恵まれてる人はどうしたらいいのかなあ、ってかんがえた。恵まれてる人は、いっぱい頑張って、せっかく頑張ったら報われる場所にいるんだから、頑張って、その恵まれを、この気持ちの悪い不平等をすこしでも小さくするために、使ったらいいんじゃないのかなあとおもった。
 
やりたいことができる環境にいるのに、できないひとがいるからって気を使ってやるのを止めるんじゃなくて、やりたいことできることをちゃんと頑張って、となりのひととふたりともがやりたいことをできるような社会にすることが、恵まれてる側がすべきことなのかなあ、と思いました。
 
 
 
小学生の時、福島から長期休みごとにディズニーランドに遊びに行けて、持ち家に住んで、千葉に引っ越したら年パスを買ってもらっていたこともあったけど、きづいたら、高校入試のころには、私立は奨学金が確実に出るところしかダメね、といわれてた。高校に行かせてもらえてるし、そのほか金銭的にたいした不自由もなかったし、たいしたことじゃないんだけれど、家の家計でなにか制限が出ることがあることは知らなかったから、びっくりして、かなしかった、みじめだった。私立高校の面接では、なんで特待生を希望しているんですかと言われて、答えたら、なんか泣いてしまって、授業料免除にしてもらった。同情だ、と思って、全然嬉しくなかった。言い方は悪いけど、あんな立場に人生でなるなんて、思ってなかったし、いまもなんかあのへんの自分は他人みたいだ。この表現は好きじゃないけど、社会の中で沈んだ、と思った、というか確実に肌で沈んだを感じた、社会は縦に長いスライムみたいな感じなんだなを知った。また浮いたときもそうおもった。
 
 
 
 
すこしでも、いろんなひとがやりたいことをやりたいようにできる社会をつくっていければ、いいなあ、と思います、が今の将来の夢です。
 
今までやりたいこととか特になかったんだけど、この恵まれにきづいて、ああ恩返しみたいなことをしっかりしなきゃ、社会に還元しなきゃいけない、とおもった。がんばる。
 
 
 
 
 
・最後は自慢です
授業の課題として提出したエッセイを、いいじゃーーん!といってもらって、その担当教授が編集に携わってる本に載せてもらうことになりました。を貼っておきます。
 
社会学って何なんってよく言われるしわたしもよくわからないけど、社会学も異文化を覗き見することも、あたりまえなどないんだぞと気づかせてくれるから好きだなと思います、というエッセイです、ちがうかも。
 
貼っておきますって書いたんですけどブログに貼るの億劫になったのでやめます。fbをちゃんと更新する日に貼ります。