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30 まとめみたいなやつだ

 
fbに投稿しようと思って書き始めたけど、fbっぽいテンションじゃなくなっちゃったし、なにより長すぎて受け付けていただけなかったので、とりあえずここに
 
もうちょっと整理してまたこんどかくかもしれませんが、まあこれはこれで
 
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【交換留学が終わりそうだ】
 
こんにちは。あと1週間くらいで日本に帰ります。
 
ふわふわです。体と脳が3mm浮いています。
なにもわかりません。どうなるんでしょう、じんせい。
 
わからないので、日記を書きます。読もう。
読んで、いいねっておもったらいいねして、いいねっておもわなかったらいいねして。
 
 
わからないので、この1年(ゆうて半年くらい)で変わったなあと思うことをつらつら書きます。インポータント順ではないです。順不同です。
 
 
・自分の名前が好きになった。
驚き桃の木超どうでもいいことからいくスタイル。
 
私の名前ははるかといいます。
もうなんかありふれた名前すぎるし、なんたって、春に生まれたからはるかなんていう超シンプル命名(そのくせ、漢字まで春だとシンプルすぎるかなと思ったので晴にしておいたという謎の中途半端さ)も嫌で、嫌いだった。
 
でも、この一年で大好きになったよ。フィラデルフィアの冬、とてもとてもさむくて長くて、「お〜季節大事!」と心の奥底から感じて、春がきたときに「春だあーー!これが春!春だあ!」と思った。春超すばらしい。花きれい!とか心の底から思っちゃったよね、女子かよ。
だから春生まれだからはるかなんて最高じゃんとおもった。どうでもいいとかいったけど、本当は全然どうでもよくない、結構大きい。おわり。つぎ。
 
 
 
・にんげんに支えられていることにやっと気づいた。周りのにんげんは超大切。22才です。
22才にして、気づいたのは本当に遅いんですけど、やたら人の優しさに触れまくりまくった数ヶ月でした。
 
やさしいひとばかりでびっくりした。ここで出会ったひとも、日本の友達も、すごい。私は本当に幸せだ、ラッキーハッピー。
 
こんなやつ、いちいち返信が遅い/テンションの上下がすごい/歌ってしまう/寝てしまう/朝は機嫌が悪い/遅刻グセが治らない/なにもない、ようなやつ、と遊んでくれたり、をしつこく誘ってくれたり、の話を辛抱強くきいてくれたり、に「困ったらいつでもいってね」と言ってくれたり、した、ここで出会った沢山の人とか。(文章の作り方下手だったすみません)
今ドヨーンなので電話をください!!!とツイートしたら本当に電話をくれたり、困っている話をしたら、「頑張って〜」とか「超わかる〜」とかいってくれたりしたり、留学している同士でぺちゃくちゃしたり、した、たくさんの日本のともだちとか。
 
なんなんだこの人達は!?!?!?!?!!?と思った。
 
わたしの周りにはこんなにこんなに暖かい人がたくさんいたのか、、、、と思って本当に無限びっくらポンだった。し、
わたしはこんなにひとに優しくできているだろうか、、、、、、、、とおもって無限に反省した。優しくない。
 
 
なんか優しさの正体がわからなすぎて、こわいと思ったりもしたんですけど、でもわたしも人を幸せにできるようなにんげんになろうと思ったし、周りのひとをもっと大切にしようと思った。意外と世界清らか。つぎ。
 
 
 
 
・ひとを信じられる人は優しい人だなあ。
うえにかいたことと少し関連しているんですけど、
 
 
あーなんかつかれた、とつぜん、いま急に疲れた
 
うーーーー疲れた
 
 
生き返った。
 
さっき夕飯、一昨日買ったファストフード温めて食べたら、お腹壊したんだよ、おもしろくない?
 
やりなおしね。
 
こんにちは。
 
なんだっけ。そうだ、そうです。
 
ぽぽぽぽぽぽぽ。わすれちゃった。あああああ、そうです。
 
そう!
 
すごく尊敬できるひとに出会いました。よかったね。よかったよかった。
 
ボランティアをやっていたんですけど、NPOみたいなやつのSNSの広報。
 
こっちに来て、バイトもないし、なんか人の役に立っていない(別に元から立っていないけど)気がすごいえぐいして、ダメだ虚無になってしまう、にんげんの役に立たなくちゃ!!とおもったり、ふつうに大学生以外と知り合いたいなとか、あとは移民とか英語教育とかについて興味があるなとか思って(突然とっぴなテーマですか、あとで書くので待ってください、あせらないでね)、10月くらいにメールした。
 
「ボランティア」っていう響きで、なんか雑用?みたいなものをオファーされるつもりだったんだけど、経験とかインタレストとか送ってくれ〜って言われて、送ったら、SNSで広報やって〜!投稿して〜!いえーい!っていわれた(別にこんなテンションではなかった)
 
なんで?どうして?わしのメールとか読んだじゃん?英語書けないのわかるじゃん?わたしにはそれは無理だと思うんですけど、この人達大丈夫かな?疲れてるのかな?肩もみましょうか?あれそういえば英語圏のひとって肩こりしないって本当なのかな?そんなことはどうでもいいんだった、で、これはお情け?なんだ?なんなんだ?とおもった。
 
そっから今日まで、7ヶ月位、毎週月曜に通って、投稿かいたり、した。ひとりのスタッフのひとのもとでずっとやってたんだけど、そのひとに出会えてよかったっていうはなしです、これは。
 
さいしょは、やっぱりこんなんできるわけないじゃーーーン、と思って、ひねくれ者なのではんぶん逆ギレしてたり(はしてないけど、してた)したけど、
毎週毎週行ってるうちに、別にこの人はお情けとかじゃなく、疲れてて間違えてオファーしちゃったわけでもなく、ふつうにふつうに、わたしを信じて任せてくれたのでは??神なのか??ブッタかなあ??すごい!!!!!!!とおもった。
 
ありがたいすぎてやば、と思った(感想が軽い)
こんな突然現れたどこの骨かもわからんやつを信頼してくれて、だってSNS投稿なんて、外に出るものじゃないですか、そんなものを任せてくれるなんて、私にはその勇気絶対にない、ない、、、、、と思った。すごい。ひとを信じることができるひとは超勇敢で最高に優しいひとだ。
 
そんなことに気づいてからは、もう拗ねることもなく、スクスクと育った。信じてくれたので、私も信じ返してみよう〜!、超お世話になってるので役に立ちてえ〜!とか純粋なにんげんみたいなことを思ったりもしてしまって、「こんな感じの投稿したらいいと思うんですけどどうかなあ?」とか言ってみたりもできたthanks to her、超イイじゃ~~ん!って言ってくれて、また任せてくれた、聖人なのかなあ?
 
彼女は、私の一番苦手な、他人を信頼する、を超ナチュラルに心の底からしているひとだった。暖かだなあ。
 
 
わたしは、じんせいのなかでわりと「リーダー」みたいなところにいることが多かった。班長とか、実行委員長とか、部長とか、パートリーダーとか、とか。
(嘘をつくな!!!!!!!!!嘘つきは泥棒の始まり!!!ケードロしよう!っていわれちゃいそうだけど、大学生になって心の隅々からの怠け者(なにそれ)になったけどそれまでは生気があるにんげんだったんだよ、べつに「リーダー」だけが価値あるわけはないですけどもちろん、「」だからね、みんながリーダーだよ(?))
 
それは別にわたしはひとを引っ張る力とかリーダーシップがあるからとかではない、むしろない、まったくない、もう知っているので迷惑をかけてきた皆様に謝りたい、鯛飯、無だ、虚無。
 
わたしがなんか高校生くらいまで、ちゃんとひとを引っ張れそうなにんげんみたいに見られていたのは、なぜかというと、それが、これだ、他人を信じたり、任せたりすることができない、できなくて、全部自分でやっちゃっていたからだ、と思う。だからぱっとみは、すごい真面目でやる気がある素晴らしいやつに見えるんだけど、そうじゃないんです〜ビェ〜ざんねんでした〜。
 
こないだ旅行かなんかをともだちとしていて(カレーを作っていたときだったかもしれない?)、だれかが「せんざきといると思考停止しちゃうわ〜」みたいなことを言っていて、あ、気をつけていたのにまたやってしまった!ごめん!とおもった、ぜんぶじぶんひとりで、それっぽく、すすめてしまう。
 
 
 
ひとを信じられる強い人になりたいと思います。
 
 
 
 
 
 
・ふとった
アメリカ、ごはんうめえ。
 
 
 
 
 
 
・生きたくて堪らなくなった。頼むから誰も私を刺すな。病魔は家に帰れ、近寄るな。
別に堪らなく死にたかったわけではないけど、堪らなく生きたかったわけでもなかった。
べつに産まれたい!!と思った記憶もないのでそのくらいに消極的なくらいは許されます、決定、わしがいまきめました
 
べつに、刺されにいきはしないけど、たまたま刺されちゃったりして悲劇のヒロインになってみるのも、それはそれですごく良さそうじゃんみたいなかんじ
 
でも最近超生きたくなった、すごい、別に辛いことが消えたわけではないけど、めちゃくちゃ生きたい、いっぱい生きたい、やりたいこととやらなくちゃいけないことがあれもこれもある、だからすごい
 
こんなふうにおもって人生を生きている人がいるなんて思ってもみなかったから、びっくりした。
こんなふうに思って生きている人と、あんなふうに思って生きている人、他のふうに思って生きている人が、世界には同居しているのか、、、とおもってびっくりした。そりゃあわかり合うのは大変だなあ。
 
メンヘラか?とかいっちゃってわかったよっぽくされそうで気持ち悪いけど言わずにはいられなかったのでいいました、まあいいや、ヌルヌルする、ヌルヌルヌルヌル
 
 
 
 
 
・こんにちは
こんにちは
 
 
 
 
・じぶんは恵まれている、という話と、だからどうするんですか、という話
私はすごく恵まれています、ということに心から気づきました。
 
東大の祝辞じゃないけど、(ゆうてちゃんと読んでないすみません、謝るくせにまだ読まなくてすみません)恵まれているんだあ。
 
大学に行けたり、留学に来れたり、っていうのが恵まれているなあ、というのはまあなんとなくずっと感じていたけど、わたしの恵まれはそんなどころの騒ぎではない。
 
高校に行くのを諦めなきゃいけない人とか、良い教育を受けるために国境を超えなきゃいけない人とか、ただそこで生きてることが違法な人とか、4年制大学も成績優秀で出たのに不法滞在だからってだけで仕事ができないとか、来るしかなかったから来てみたけど言葉わかんないしどうしようもないとか、なんか知らんけど産まれてみたらマイノリティだったとか、そんな、そんな、か。
 
授業でみたドキュメンタリーのなかにでていた14歳位の男の子。
先にアメリカにいたお母さんを追って、教育を受けるためにも、国境を超えてきたら、国境を超える途中で一緒にきていたお父さんが銃で打たれて死んでしまって、でも僕は逃げて、お母さんのもとにやっと来たら、お母さんにはもう新しい家族がいて、うまく馴染めないし、不法移民だから将来のロールモデルもない、奨学金も受けられない、言葉もわからないから勉強もわかんない、成績は取れなくて高校ドロップアウト、皿洗いで働く、「結局僕も他の不法移民と同じになった」。そんな、か。
 
そんな人生がこの世にはあるのか、とおもった。しかも、遠い貧困に苦しむ小さな国のはなしではなくて、超大国アメリカで、こんな富が有り余っていそうなこの国で、そうやって生きている人がいるのか、それでいいはずがないじゃんけ〜、とおもった。すごくびっくりびっくりしたけど、ショックだったけど、信じられない〜!とはおもわなかった。日本でそのドキュメンタリーをみても全然リアルに感じなかったと思うけど、ここでみたらなんか納得感があった。ボランティア先は、移民の方々に英語を教える団体だったんですけど、生徒プロフィールの職業欄は、工事現場作業員と清掃員ばっかりだった。
 
 
たまたま産み落とされた、地理的・社会的な位置で、人生の選択肢が狭まってしまう世界に生きるのは嫌だなとおもう。別になににも上も下もないので、やりたいことがやれればいいんですけど、やりたいことができない、頑張ったってどうしたってできない、そんなのひどいじゃん。
 
 
塾講師を4年間やっていて、右には小学校から某都内有名私立大学付属に通っている中学生、左にはシングルマザーだった母親が亡くなって祖母と2人で住んでいてバイトをしながら通信制高校に通っている高校生、とかそんな授業をする日もあった。世界は広い。
 
でも別に、どっちの子が悪いわけじゃないんだ。勉強全然しないくせに小学校から私立の子が沢山いて、はーーーーーー悔しいなんなんだこいつらは!と思ったりもしたけど、彼女たちだって別に何も悪くない。ただ産まれて生きてるだけだ。
 
 
恵まれてる人はどうしたらいいのかなあ、ってかんがえた。恵まれてる人は、いっぱい頑張って、せっかく頑張ったら報われる場所にいるんだから、頑張って、その恵まれを、この気持ちの悪い不平等をすこしでも小さくするために、使ったらいいんじゃないのかなあとおもった。
 
やりたいことができる環境にいるのに、できないひとがいるからって気を使ってやるのを止めるんじゃなくて、やりたいことできることをちゃんと頑張って、となりのひととふたりともがやりたいことをできるような社会にすることが、恵まれてる側がすべきことなのかなあ、と思いました。
 
 
 
小学生の時、福島から長期休みごとにディズニーランドに遊びに行けて、持ち家に住んで、千葉に引っ越したら年パスを買ってもらっていたこともあったけど、きづいたら、高校入試のころには、私立は奨学金が確実に出るところしかダメね、といわれてた。高校に行かせてもらえてるし、そのほか金銭的にたいした不自由もなかったし、たいしたことじゃないんだけれど、家の家計でなにか制限が出ることがあることは知らなかったから、びっくりして、かなしかった、みじめだった。私立高校の面接では、なんで特待生を希望しているんですかと言われて、答えたら、なんか泣いてしまって、授業料免除にしてもらった。同情だ、と思って、全然嬉しくなかった。言い方は悪いけど、あんな立場に人生でなるなんて、思ってなかったし、いまもなんかあのへんの自分は他人みたいだ。この表現は好きじゃないけど、社会の中で沈んだ、と思った、というか確実に肌で沈んだを感じた、社会は縦に長いスライムみたいな感じなんだなを知った。また浮いたときもそうおもった。
 
 
 
 
すこしでも、いろんなひとがやりたいことをやりたいようにできる社会をつくっていければ、いいなあ、と思います、が今の将来の夢です。
 
今までやりたいこととか特になかったんだけど、この恵まれにきづいて、ああ恩返しみたいなことをしっかりしなきゃ、社会に還元しなきゃいけない、とおもった。がんばる。
 
 
 
 
 
・最後は自慢です
授業の課題として提出したエッセイを、いいじゃーーん!といってもらって、その担当教授が編集に携わってる本に載せてもらうことになりました。を貼っておきます。
 
社会学って何なんってよく言われるしわたしもよくわからないけど、社会学も異文化を覗き見することも、あたりまえなどないんだぞと気づかせてくれるから好きだなと思います、というエッセイです、ちがうかも。
 
貼っておきますって書いたんですけどブログに貼るの億劫になったのでやめます。fbをちゃんと更新する日に貼ります。