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10 線

 

人種関係論と社会心理学の授業の授業をききながら、宿題をやりながら、ふと思い出したことがあって、

 

大学2年生でアメリカに語学留学してた時の話なんですけど、
カリフォルニアのサンディエゴだったので、日本で育って大学から留学しているひととかのほかに、日系アメリカ人の方とかがたくさんいたんですよね、

 

で、なんかその日本クラブみたいなところの歓迎会であったとある方に、「普通に日本人ですか?」ってきいたんですよ、2年前の私

 

相手は、「え、逆に普通じゃない日本人とかいるの??(笑)」って普通に笑って流してくれたんですけど、

 

っていう出来事をふと思い出してめちゃめちゃくちゃくちゃに後悔

相手が結局どういう生い立ちだったのかは覚えていないのだけど、

まあなんにしろ失礼だなあ~~~~~~~

 

 

私にとって「”普通に”日本人」っていうのは、「日本で生まれて、日本で育って、”日本人の血”が入っていて、日本語が母語なひと」だったんだよなあ

それに当てはまらない人は”普通じゃない”なんて、エゴも甚だしい


私その時本当に海外も海外のひとと話すのも初めてだったのでなんも考えずにそんな質問をしてしまった、っていう言い訳

 

 

 

そこでまたまた思い出したのが、大坂なおみ選手のことで、ときどきみかける「彼女は日本人なのか」みたいなはなし

 

「日本人」は、何をもって「日本人」を定義しているのかなあ、と

言語か、見た目か、血か、生まれた場所か、育った場所か、国籍か、うーーーーん

 

 

「日本人」って線をなんとなく私たちは引いていて、なんか「生物学的」に正しいとかそんな感じで自明なもののように扱ってるけど、よく考えれば別に人間同士にそんなはっきり自信をもって線が引けるような違いがあるわけでもないし、

 

 

 

 

塾の教室と講師室の間の壁とか、家のトイレとリビングの間の壁とか、大みそかと元旦の間の夜中0時とか、なぜか7日ごと・30日ごとにある区切りとか、

 

わたし、家を出てから忘れ物に気づいたとき、よく靴のまま自分の部屋まで戻ってしまう時があるんですけど、
それをやったことがある人ならわかってもらえると思うんですけど、玄関から家の本来靴を脱がなければいけないところに上がる瞬間のなんかマジカルパワーみたいなのやばくないですか???ただの同じ空間なのに、なんかもう「靴で上がってはいけない靴で上がってはいけない、、、」みたいな呪いがくる、そこに線なんてないのに、、、、、、、

 

 

 

 

 

なにもないところに、勝手に引いた線のことを、もう無意識にそこにある事実として扱ってしまう人間の脳か心か社会かは面白いし、怖いなと思った、なにごとも、